寺伝
創建(初代)
佐々木永通(近江国和邇慶専寺)により、1634年(寛永11年)に創建されたと伝えられています。しかし、戊申の役の際に、寺伝に関する資料は、淀の町の大火で消失しており、不明確な点が多い。ある資料(下記)によると、その前に現在の納所にあり、江戸時代に現在の地(伏見区淀新町)へ移転したとの記録も残る。
〇その他資料
「文相寺はもと納所にありました。淀城藩主稲葉候の命で今の新町に移ったのですが、このお寺は本願寺を建てられた蓮如上人の御舊蹟(御旧跡)で大層立派なお寺でしたが明治維新の時兵火にかかり建物も宝物の一切焼けてしまったのです。境内に明治戊申の役東軍戦死者の埋骨の碑があります」
『郷土読本 淀』発行人 今中仁一(明親尋常高等小学校校長)昭和16年3月1日発行
また、境内には、戊申の役による東軍の戦死者の碑があり、その経緯を直接住職から聞いた方の手記が残っているので、ご紹介します。
「あわれというものは本当にひどいものです。この前、手負者が亡くなったのを18人、この本堂の横に埋めるとき、その中の一人の仏さんの父というてあったが、はるばる大垣からたづねて来て、子の戦死を見て、私は親一人子一人や、せめて一緒にほうむって下されいうて、埋めかけた穴の中へ飛び込んでしまいなされた」(文相寺住職談)
「林千鶴の幼物語」発行:地域計画研究所 編集:林 万里 昭和63年7月15日発行
【戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑】
本堂の裏に墓地があり、その入り口にあります。
※本堂正面の右側を通り抜けてください。どなたでもご自由にご参拝ください。